ノーマルライフ

好雨知時節

小さくてもとうといもの

最近化粧で肌を白くしすぎてるんじゃないかと思っているこの頃です。

 

 

先日誕生日でした。誰も見てないブログだとは思いますが祝ってください。どうもありがとうございます。

 

そんなこんなで友達に祝ってもらいました。

お店でなんか食べてたんですけど、あれです、急に暗くなってケーキが出てくるやつ。まさか自分がやってもらえると思ってなかったので死ぬほどびっくりしました。めちゃくちゃ嬉しかったです。

 

なぜめちゃくちゃ嬉しかったかというと、「まさか自分がやってもらえると思ってなかった」からなのですが、ではなぜそう思ったのか。

 

 

昔の話をしますね。ある人に傷つけられた過去がありました。結構傷ついたんです。絶望した!みたいな。(内容は特には触れませんが。)

 

当時は自分の気持ちをなんとかしようと必死でした。どんどん落ちていこうとする自分をどうにかしなきゃ、と。知ってる心理?技法を試そうともしました。あんまりうまくできなかったですが笑。友達と飲んだり、カラオケ行ったり。散々泣いたり。

 

その「なんとかしなきゃ」の一連の動作に、その傷つけてきた相手と自分が同じく所属している”コミュニティを捨てる”、という行為がありました。縁を切る、というやつです。

 

具体的にどういうことかというと、「その人を思い出すのが嫌」なので、それこそInstagramTwitterなどのSNSやめるとか、共通の友人と仲良くするのをやめるとか、コミュニティに関わることをほとんど全部やめたわけです。

 

「嫌になって捨てたコミュニティ」にはもうほとんど存在していません。それこそ空虚な籍がある、くらいです。今は私は「新しいコミュニティ」で頑張って生きています。

 

 

普段話してたSNSをやめるとどうなるかというと、関わる頻度や存在を認知してもらえる回数がめちゃくちゃ減ります。あの人何やってんの?知らない、となるわけです。

 

同時に私も普段仲良くしていた人とのつながりを一気に失ったわけです。SNSをやめることは楽になることでもありましたが、(他に新しいコミュニティに存在するまでは)寂しく孤独になることでもありました。

 

でもそれでいいと思っていたんですよね。人をまぁそこまで信じられない状態にあったので、今後仲良くしていきたいと思う人もいないな、って。別に切ってもいいや、と。

 

 

そんな中、連絡もせずそっけなくしていたそのコミュニティの友人から、誕生日を祝いたい、と言われたわけです。

 

私はもちろん全然連絡もしてないし久しぶりにご飯食べて終わりだと思っていました。

 

最初に戻りましょう。自分のことしか考えず、いわば友達を捨てる行為に近い行動をした私に、暗闇の中ケーキを運ぶサプライズなんかしてるわけないだろうなと思っていたわけです。

 

だけどその友人はケーキの予約もとっててくれたんですね。あのー、だから、めちゃくちゃ嬉しかったんです。

 

 

そこで人を信じられなくなっていた心の氷が、少し溶ける感覚があるのがわかりました。

 

 

これ結構大事なことなんですよね。本当はめちゃくちゃ人を信じて生きたいんですけど、そんな重い付き合い、大人になればなるほどしなくなるじゃないですか。

 

どこかで大人になるにつれ、人を傷つけ、人に傷つけられるうちに、ドライな関係を築くのがだんだんと上手くなっていく。他人に期待するのをやめ、社会の中で生きる術を学んでいく。そうなんだと思います。

 

世の中おかしい人、平気で人を傷つける人ばっかりですから、他人を信じて、無償の愛なんかあげてはいられません。そんなことができるのはドラえもんの映画の中だけです。(ドラえもんの映画でしょっちゅう泣きます)

 

こういう態度は連鎖していき、他人にされた態度をそのまま返す。傷つけば傷つくほど、人に優しくするのを恐れ、自分を守ろうと必死になります。他人のことを思いやる行動は後回しになるわけです。

 

これが、世の中で他の人と生きていく、ということだと思うのです。うまく人との距離を取り、自分が傷つかずにうまく生きられる方法を探す。綺麗事だけでは生きていけないから。

 

 

 

確かにそれでいいと思うのですが、またもこの話で思い出した一説があるので紹介します。

 

私が好きな本 森絵都さん「つきのふね」より

心の病気の描写があります。

 

主人公のおばあちゃんは、今はとても大変な時代だから、誰でも狂うのよ、と言います。

では、狂う人と狂わない人の違いは?という問いに、おばあちゃんはこう答えるのです。

 

「それはきっとこの世には小さくてもとうといものがあってそういうものが助けてくれるのかもね」と。

 

 

 

傷ついた後。もう傷つきたくないと思うばかりに、他人のことを思う余裕がなくなってしまうことがあります。

 

誰しも傷つき苦しんでいる人間ばかりだと思うのです。私を傷つけた人も例外なく。

 

ただ、そんな人たちの心が本当にほしがっているものは、たとえ小さくても、見返りがなくても、ただその人を思う心からくる「やさしさ」なのかもしれないですね。